農業、それは最も大切な仕事 2025/2026シーズン エピソード1 茨城県 高橋 大希さん
茨城県 高橋 大希さん
私たちBASFは、「農業、それは最も大切な仕事」というアドボカシー・キャンペーンを展開しています。農業の価値をより多くの人に届け、農業に従事する人々の“想い”を伝えていきたい──そんな想いを込めています。今回から始まるインタビューシリーズでは、農業のあり方が急激に変化する今、志を胸に挑み続ける人々を取り上げ、農業の価値と未来への希望をお伝えしていきます。
第1回は、株式会社クローバー・ファーム代表の高橋大希さん。農業と縁がなかった環境で育ち、20代で保育士から農業者へと転身した高橋さんに、異業種からの挑戦を可能にした背景や成長の歩み、今後の展望を伺いました。
●高橋大希さんプロフィール●
茨城県境町で103ヘクタールを管理し、水稲、大麦、小麦、大豆、子実用トウモロコシを栽培。茨城パン小麦栽培研究会の会長を務める。
――農業を始めたきっかけを教えてください。
私は東京生まれで、両親が区役所勤め。農家とはまったく関わりのない環境で育ちました。高校を卒業して保育士の専門学校に進み、そこで妻と出会ったんです。卒業後は3年間保育士をしていましたが、子どもを授かり家庭を持つ中で、夫婦ふたりで保育士を続けていくのは難しいかなと感じていました。ちょうどその頃、妻の実家に後継ぎがいなくて、妻の両親から「人手が必要だから手伝ってくれないか」と声をかけてもらったんです。それがきっかけで、2007年ごろから農業に携わるようになりました。
――農業に携わった当初の印象はいかがでしたか。
当時は、義理の父が社長を務めており、田んぼも今のように集約されていませんでした。1枚1枚の管理で手一杯で、100枚あってもきれいにできるのはせいぜい20~30枚。残りは草が生えてしまうような状態でした。私自身、何も知らないところからのスタートで、トラクターの運転も草刈も除草剤の使い方もわからない。ただ言われたことをやるだけでした。
それでも少しずつ農業者の集まりに積極的に参加するようになり、先輩方とつながりながら学んでいきました。最初の10年ぐらいは外の活動に一生懸命で、「跡を継ぐ立場」という自覚はあっても、自分が経営者になるイメージは持っていませんでした。でも、人脈が広がり、いざ継ぐ段階になったとき、経営者同士の集まりで「今どんなことをやっているの?」「どういう機械を使っているの」と聞かれて、答えられない自分がすごく恥ずかしくて。「そろそろ本腰を入れて経営者としてやらないと」と思うようになりました。
――農業のどのようなところに、やりがいや魅力を感じていますか。
農業に携わって15年ほどになりますが、その間に時代は大きく変わりました。従業員の働き方を見直さなければならないし、効率化も求められる。でも機械や農薬が進化してきたおかげで、何とか対応できていると思います。たとえば耕起作業も、今では大型トラクターが主流になり、10アール当たりにかかる時間は大幅に短縮されました。さらに複数台のトラクターを持つことで、従業員が同時に作業でき、1日の効率が上がっています。その結果、農地は当初より大幅に増えていますが、従業員にしっかりと休みを取ってもらえるようになりました。
近年は異常気象などさまざまな課題がありますが、そうした中で、BASFが提供するサービスを通じて、農業者だけでは限界だと感じていた知識や経験の部分を技術で支援してもらえたことが、私たちの大きな武器となり前進することができました。
農業は自分の器量で経営できる仕事だと思います。失敗も成功も経営者の判断次第です。一方で、地域で培われてきた経験を引き継ぎながら、誰でも参入できる環境をつくっていくことも大切だと感じています。
私は異業種から転身した人間なので、分からなかったことだらけで、失敗もたくさんしてきました。今でもしています。でも、それも含めて、やっぱり農業は面白いから続けているんだと思います。
――これまでどのような失敗をして、それを乗り越えてきたのですか。
乾田直播に挑戦して、今年で3年目になります。最初の2年間は本当に大変で、作付けした田んぼの半分くらいが草だらけになってしまいました。周囲からも「あんなに雑草が生えていて大丈夫なのか」と心配されるほどでした。
3年目の今年からは「xarvio® HEALTHY FIELDS(ザルビオ® ヘルシーフィールド)」という雑草防除の成果保証型サービスを導入し、これまでの失敗が嘘のように、今のところ順調に進んでいます。まだ成功と言い切れる段階ではありませんが、雑草が生えたところも「なぜそうなったのか」という原因が分かってきて、来年に向けて希望が持てるようになりました。
――お仕事をする上で大切にしていることは何ですか?
従業員のみんなに「この会社のためなら頑張ろう」って思ってもらえる環境をつくることを心がけています。作物づくりがしっかりできれば従業員も育っていきますし、従業員を大切にすれば「いいものを作って給料につなげよう」という意識も芽生える。その循環が、ちょうど今、形になってきている実感があります。
また、できるだけお客さんの顔が見えるようにして、誰のために作っているのかを意識するようにしています。もちろんプレッシャーもありますが、「この人たちのために作っているんだ」と、見える化することで、従業員も生産にしっかり向き合えるようになってきたと感じています。
――お客さんの顔を意識して作るために、どのような工夫をしていますか。
できるだけ「作ったものを理解したうえで使っていただきたい」という思いがあります。例えば、私が会長を務める茨城パン小麦栽培研究会では、高タンパクが求められるパン用小麦「ゆめかおり」を土づくりからこだわって栽培しています。それを道の駅のお弁当や、サンドイッチ専門店の商品に使っていただいています。
また、大手コンビニでも茨城、福島、栃木、宇都宮周辺限定ですが、私たちの商品だと分かるシールを貼った形で提供してもらっています。こうした工夫によって、作る側も「誰のために作っているのか」を意識して生産に向き合えるようになっています。
――作物、消費者にかける思い、農業へのこだわりは、どのように培ってこられたのでしょうか。
同じような志を持った人たちに巻き込まれてきたと思います。普及員の方や先輩農家さんも熱意があって、人に対する愛情を持っている人たちです。多分、同じ空気感の人が集まっているんだと思います。
そういう人に巻き込まれたとき、基本的に断らずにやってみるようにしてきました。断らずに動いていると、頼まれることも自然と増えていきます。「あいつならやってくれる」と思ってもらえるようになったのは、大きかったですね。誰かが自分に頼ってくれるというのは、それだけ信頼されているということなので、大変なこともありますが嬉しい部分もあります。
――将来の農業について、どのような展望を描いていますか。
農業は「終わりのない山登り」のようで、目標にたどり着いても次の課題が必ず出てきます。でも、仲間と一緒にこれからの5年、10年、20年に向けてできることを積み重ねていくことで、明るい未来につながると信じています。
穀物作りは一人では難しく、量や質を確保するためには仲間作りが欠かせません。同じ志を持った仲間と切磋琢磨することで、より良い農業が実現します。このつながりを地域や全国へ広げていきたいと思っています。
将来的には、全国の農業者が助け合いながら収穫や課題に対応できるネットワークを作っていければこれからどんどん良くなるのではないかと思っています。収穫の差が出た年でも補填し合えるような仕組みができれば、農業全体の安定や成長につながります。こうした助け合いが実現すれば、農業の未来はきっと明るいものになると思います。
※この記事は2025年に公開されたものです。